部活史

▼長崎県立大学軟式庭球部のあゆみ(再加筆・修正分)

1.草創期
1967(昭和42)年に、長崎県立国際経済大学として4年制の大学が開学し、クラブ活動もスタート。当時は、エンタープライズ号事件があった時代でもある。顧問は川原先生が受けもっておられた。軟式庭球部の原型である。草創期の中心メンバーは、佐藤先輩、勝俣先輩、鈴木先輩、鳥越先輩、菊山先輩、桐岡先輩、原先輩、山本先輩方で男性陣ばかり。女性が練習に参加するようになるのは、もう少し時間がかかった。やがて1971(昭和46)年には現OB会会長そのほか今もプレーヤーで活躍しておられる5回生の丸山会長、吉田(淳)副会長、宮原先輩、川上先輩、小宮先輩方が入部される。この時期は、九州地区大学リーグ戦が始まったばかりとはいえ、5部リーグのうち2部リーグに位置していた。福岡大学(当時1部リーグ所属)などともほぼ互角に対戦している。しかも、昭和46年に全日本インカレ(団体個人優勝:日本大学)が佐世保で開催。本学は強豪の関西学院大学の大将ペアと対戦し、全力で試合に臨んだ。長崎県内の西九州大会では、しばしば長崎大学や長崎造船大学(現.長崎総合科学大学)と対戦し、数回にわたり制覇している。

 

2.発展期パートⅠ
高度経済成長期ではあったが、石油危機に何度か差しかかった時期でもあった。しかし、少しずつ発展を続けたという事。今では、「県立大」の名称が広く普及しつつあるが、やはり草創期の「国経大」の愛称を呼ぶ方々が未だに多い。当時の先輩方の努力の賜物であろう。野村先輩を中心に名物相浦沖田一周ランニングは語り継がれた。大学の部旗が、「長崎県立国際経済大学」なのは、納得できる。当時の先輩方を中心に佐世保の社会人の方々もまじえながら発展した時期である。

 

3.発展期パートⅡ
大学設立から、10年以上を経てようやく念願の女性軟式テニスプレーヤーが軟庭部でも多く見られるようになった時期。発足間もない公立大学で、軟庭部の女子は草創期以降、「充電」を待つという状況にあった。しかし、1980(昭和55)年にはスタートし活躍している。男性陣は、今でも活躍中でありOB会発足に大変尽力頂いた14回生の大津先輩、17回生の朝長先輩の世代。そして、15回生でチームを牽引された下村先輩。そして、多くの先輩諸氏が軟庭部の土台を、より強力にしてくださった時期でもある。今もなお、多くの先輩が若い一般男子に負けず第一線で活躍中である。17回生の吉原先輩、18回生の阿比留先輩、高木先輩、野口先輩の各氏、20回生の長尾先輩、21回生の中村先輩方の世代である。

 

4.発展期パートⅢ
1987(昭和62)年、大学に新しく吉居先生が赴任されて、軟庭部の顧問を受けもたれる。そして、今日にまで至っている。軟庭部自体は男女共、九州地区リーグ3部から、2部の間を推移した時期。この間は、本学自体やソフトテニス競技自体の話題も大変多い。1991(平成3)年にサークルボックスの工事、1993(平成5)年に大学名を現在の「長崎県立大学」と改称。同年、経済学科に加えて流通学科(現.流通経営学科)の新設。そして、図書情報センターの建築に伴い、テニスコートが現在の場所へ移動している。それに伴い練習方法も佐世保市営テニスコートをメインに使用する方式と変化した。競技自体は、1994(平成6)年の広島アジアソフトテニス競技大会開催に向けて国際ルールが採用された時期である。

 

5.発展期パートⅣ
この時期の軟庭部は、試行錯誤しながら発展していた。木吉先輩、堀先輩、辻主将、平澤主将、岡元先輩の世代である。しかし、大学生の「体育会系離れ」といった問題に直面したと言われる。1996~97(平成8)年の2年間は、入部した人間が男女合わせて5人。少人数体制という厳しい現実があった。30回生小泉主将、31回生高平主将の時期である。チーム作りや対外試合等への取り組み。やがて、後の世代につながる十分な下地になった。先輩方に感謝のかぎりである。練習が休みの日など、先輩後輩で和気あいあいと軽く出かけたりされた。対外交流では、長崎大学全学ソフトテニス部と合同合宿を実施。そして翌年の2000(平成12)年から、九州地区大学対抗リーグ戦が春と秋の年2回に変更、そしてシングルス1組の導入が九州学連で決定される。つまり、シングルス選手が必要となった。
(※数字は出場した年)
シングル出場者[男子]:
川上先輩00→森山先輩00、01、02→末永主将02、03→森宗先輩04、05
シングル出場者[女子]:
寺田先輩00→碇主将01→野口主将01、02→賀内主将03、04、05→松下主将07、08
このシングル制導入の事は、良かれあしかれ、大学リーグ戦の際にチームオーダーで、考える契機となる。ちなみに前出の先輩方各氏は、後衛の割合が多い。シングル国際ルールの場合だと、ラリー力とスタミナが特に必要とされた。ラリーで30~40本続いたり、1ゲームでデュース8本かかった試合もある。

 

6.現在まで
この時期以降は、携帯も性能のよい物が普及し、ほぼ部員全員がそれを所持しているなど部活動のライフスタイルの変容が著しい。車自体を持っている部員もかなり増える。ある意味驚き!遠征等は、もちろんチーム全体で車を運転して行く。部は、一時期の人数減少期を過ぎ、逆に部員が一学年7~8人にまで増えたこともあった。リーグ戦をはじめとした大会で快進撃があった。2005(平成17)年には、佐世保市で大学リーグ戦が開催されている。宮崎主将、シングルでの森宗先輩、ダブルスでの高妻主将、三村先輩、近藤先輩、眞弓先輩、山口主将、桃野先輩、瀬川先輩、北口先輩、矢野先輩、内田先輩、村井先輩、坂口主将、今井先輩、吉川先輩、山田先輩らが活躍してくれた。この世代は、大学リーグ戦では男子は2部リーグに所属する。長崎県内の西九州学生大会で長崎県立大男子Aチーム(山口・矢野組、高妻・近藤組、内田・坂口組)で優勝している。さらに全日本学生選手権にも山口・矢野組で出場をはたす。ちょっとした逸話があり、試合会場の能登半島まで車で運転して行ったというワンダフルエピソードがある。男子後衛陣は、速球の持ち主が多く、前衛陣は試合でのボレー、スマッシュに強い選手が多かった。同時期の女子については、賀内主将が活躍。高校時代に練習された彼女の左からのストロークは安定していた。やがて、松下先輩も入部する。松下先輩は、強打の後衛選手だったという。女子のリーグ戦では二人とも活躍され、他大学を圧倒した。現在、長崎県立大学ソフトテニス部の活動は勉強と練習に日々、打ち込んでいる。長崎の国公立大学として軟庭部及びソフトテニス部の活動は、今後も続く。